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在宅医療の必要性

急性期・慢性期の病院に勤務していたときに体験したことですが、急性期をすでに脱し、経過が慢性に移行した患者さんの多くが住み慣れた自宅に帰りたがっている。現代医療で、効果的な治療の方法がないような病気に罹患した患者さんの場合は、特に、この要望が強い。在宅医療は、高度な医療技術あるいは濃厚医療が必要ではないような軽い疾患の加療のみではなく、重症ではあるが、現代医療では効果的な治療方法がない疾患にかかったような患者さんの療養にとっても重要な役割がある。そんなに昔の話ではないが、「畳の上で死ねないのは、不慮の死か、罪人である。」と言われていた。それが、現代の日本では、9割以上の方が、病院のベッドで死を迎えている。現代の医療では治せない疾患に罹患し、死に瀕している患者さんの療養を、如何に支えるのか。この課題に対しても、在宅医療は答える必要がある。
在宅医療では、患者のみでなく、その患者を介護している方に対するさまざまな支えが必要である。医学教育を受けて、10年ぐらいしか臨床を経験したことのない医者の出来る仕事ではない。もっとも、経験年数が長くても、意識的に学習していない医師・看護師がいるので、経験年数が長ければよいということでは無論ない。
東京都心の在宅診療所で、勤務して、体験したときのこと。この診療所では、院長は40歳後半であるが、30歳の始めに医学部を卒業し、市中の病院で3年間勤務した後、診療所を開業した人である。驚いたことに、院長以外、全部の医師が20−30歳代である。がんの終末期の患者によくみられる微熱、全身倦怠感に対して、どこかの感染症であろうという安易な診断で、むやみに抗生剤の点滴をしてみたり、患者さんが精神的にまいって弱音を吐くとすぐに鎮静剤を使用して意識低下をさせたり、セデーションと称して、安易に、長時間有効型の睡眠薬を使用していた。思い余って、院長にそれとなく別の方法を示唆したところ、あっさりと当院の診療方針に向かないといわれた。緩和医療とセデーションの違いをちゃんと理解できていないと、このような独善的なことになりかねない。こういった院長の考え方は、この診療所の職員に蔓延していて、終末期で、余命いくばくもないのであるから、少しぐらい死期が早まっても仕方がないという考え方が「是」ということになる。往診車の運転手にも、この種の考え方があり(素人にはこの考え方のほうが短絡的で分かりやすくはあるが・・・)、あるとき家族が、患者の病状に不安になって往診を依頼してきて夜間訪問をした際に体験したことであるが、家族の精神的なケアに時間をついやしていると、運転手にとって何で無駄な時間をついやすのかといった不満に繋がってくる。これは大変怖いことである。緩和医療の難しさは、意識を消失させ、痛み、その他の苦痛を感じなくさせればよいと短絡的に考えてしまいがちなところにある。家族も、患者が苦痛を訴えなくなったということで、安心してしまうことである。緩和医療で大切なことは苦痛をとることであるが、意識障害を引き起こして苦痛をとることではない。意識障害を起こさない方法で、苦痛のみをとる方策をまず探すことである。いろいろな手段を講じて、どうしても苦痛がとりきれないときの最後の手段として、意識障害を考慮することが大切である。意識障害で苦痛をとるに際しても、いきなり長時間有効型の睡眠薬を使用するのではなく、まず超短時間型の睡眠薬を使用してみることも必要である。疼痛は、しばしば、短時間でも痛みがとれて充分に睡眠できれば、明瞭な意識状態でしばらくの間は苦痛を感じないでいることが可能である。長時間型の睡眠薬を使用するのは、意識がほんの少しでも戻れば痛みを感じるような状況に限られる。このような状況はめったにあるものではない。余命いくばくもないが故に、ほんの短い時間でも貴重な時をすごせることがあるということを知る必要がある。医療者にその可能性をとりさることを許されてはいない。
重症であるが有効な治療方法がない患者さんの療養は、故意に寿命を縮めない、また、むやみに延命をしない。健康と病気といった2元論ではなく、健康であるということと、病気であるということとの2元性を一つの状態と捉えて、あるがままに受け止める医療が必要である。無論、こういったことは在宅医療に限られたことではないが、スタッフの数も限られ、密室になりやすい在宅医療では、きちんと意識的に取り組む必要がある。
病気と健康という二元性を、一つの状態に捉えて、あるがままに受け入れるという医療ができるのは、在宅である。慣れ親しんだ環境の下で、慣れ親しんだ人々と気兼ねなく関わり合いを持ち、身体的な制約はあっても、気ままに自由に活動することが出来るのである。たとえ、寝たきりの状態になったとしても、部屋の香り、肌で感じる空気、音、雰囲気、自分のまわりの人々、ペット、すべてのものが自分を見守ってくれるという安心感、安らぎ、和合を自宅で味わうことができる。私はこういったことで、在宅医療は、医療の重要な一分野であると感じている。